ハワイの風を葉山で感じる〜レイア高橋さん×藤田一照さん

冬の暖かな陽射しが差し込む一日、葉山にある禅僧・藤田一照さんの仮寓に珍しい客人が来訪しました。ハワイアン・ロミロミのマスターで、カリスマ・ヒーラーとして知られるレイア高橋さん。前日に葉山でワークショップを開催、ハワイへの帰国を前に一照さんのもとに立ち寄り、禅とロミロミ、それぞれの文化の背景にあるスピリチュアリティ(霊性)について語り合いました。
26552943_1656527117744428_871746847_n.jpg

過ごしやすく、幸福度の高いハワイでの暮らし

一照:この時期、日本は寒いですよね? ハワイは泳げるくらいでしょう?

レイア:ええ。気温でいうと、年間平均25度くらい。夏に30度を越えることもありますが、年間を通じてとても過ごしやすいですよね。

一照:そういう温暖な気候の土地ですから、健康な人が多いんじゃないですか?

レイア:のんびりしていて、経済的に豊かはなくても、しあわせな人が多いと思いますね。心にゆとりがある人たちが多いんです。ハワイには、アロハ・スピリットがあるでしょう? アロハは日常の挨拶にとどまらず、愛を与えることそのものを指します。たとえ他人であってもウェルカムの精神がありますから、違う国からやって来ても、言葉ができなくてもあまり違和感はないかもしれません。一照さんは、ハワイに行かれたことはありますか?

一照:何回かありますよ。曹洞宗のお寺がハワイにもいくつかあって、中心になっているお寺はインド風のデザインなんですが、ずいぶん前、そこで集まりがあって行ったとき、海のそばのホテルに泊まった記憶があります。どこだったかな? ザブーンという波の音がいつも聞こえていましたね。

レイア:ハワイはどこも海に近いですから……(笑)。以前、アメリカにお住まいだったと聞きましたが。

一照:僕は、マサチューセッツ州の西部に17年半ほどいました。自然の豊かなところでしたが、ハワイと違って、とても寒いところでしたね。アメリカ本土とハワイでは、“県民性”のようなものがだいぶ違っていますよね?

立場によって見え方が違うハワイの複雑な一面

レイア:本土から来た人たちが、「ハワイ語って、英語に近いんだね」って言うジョークがあります。ハワイの人たちも、英語で話しているんですけどね。

一照:面白いですね。ハワイがアメリカの一つの州になっていることについては、どう受け止められているんですか?

レイア:賛否両論と言いますか……。経済的に成功している人たちはアメリカのおかげだと思っていますが、独立運動している人たちはハワイ王国を取り戻そうと主張しています。それにハワイは移民の島ですから、キャプテン・クックの来航以来、ハワイアンと白人の混血が進んで、いまは純粋100パーセントのハワイアンはほとんどいません。そこに日系や中国系の移民が新たに入ってきて、プランテーションで働くようになりました。さらに、戦後になってからハワイに移住してきた人たちもいます。そうした人たちは、日系一世とはまた違ったとらえ方をしているでしょうね。

一照:レイアさんもそうですよね? そういう方たちって、数として、結構多いんじゃないですか?

レイア:多いですよ。世界中の様々な文化がハワイ諸島という小さな島々に集まってきていますから、どの立場にフォーカスするかで見え方がまったく違ってくると思います。
 こうしたハワイの社会は、よく「サダラボールみたいだ」と例えられることがあります。スープみたいに素材をミックスせず、キュウリはキュウリ、レタスはレタスのまま、法律をドレッシングにして一つの味になっていますが、もともとの味が残っているという。

一照:人種の坩堝(るつぼ)、メルティング・ポットという言葉がありますが、ハワイでは必ずしも溶けていないんですね。溶けないで、一緒のボールに入っている。まあ、本土でもそうだと思いますけど。
26694309_1656523814411425_1449142385_n.jpg

日常はリラックス、刺激を求めて世界の各地へ

一照:サンフランシスコやロサンゼルスも日系の方が多いですが、ハワイのほうが人口比率は圧倒的に多いですよね。ハワイの場合、日系の人たちはある種の自信を持っているのではないですか?

レイア:数もそうですが、日系移民はハワイの社会の発展にものすごく貢献してきたんです。一世の人たちは、すごく苦労しながら子供たちを育てて。当時は白人主義で差別もありましたから、社会的地位は低く、そのなかで唯一認められていたのが学校の先生だったんですね。貧しい人が多かったですが、教師になるとある程度給料がもらえるということで、教育の分野に進む人も多かったと思います。質実剛健、大和魂、男の人は強くなければいけないという時代でした。

一照:いわゆる二世の方々の歴史ですね。

レイア:はい。二世は、外ではアメリカ文化を学び、家では日本の文化をしつけられ、強く優しく育ってきた方々だと思います。
 一世の親たちは「子供たちにはしあわせになってほしい」と願っていましたが、ちょうど成人する頃に第二次世界大戦が起こり、多くは志願兵になりました。「国のために命を捨てろ」と言われていた国が、アメリカだったわけです。

一照:そういう話は、僕も聞いたことがあります。

レイア:日本のスパイかもしれないと疑われ、徴兵されなかったので、志願兵で日系人部隊をつくり、とてもよく働いたんですね。最前線に出て戦って、最も功績を残したと言われています。
 アメリカの歴史始まって以来、もっとも多く勲章を得ましたが、同時にもっとも多く死傷者を出したのも日系二世です。

一照:なるほど。レイアさんは、ハワイに行かれて何年くらいになりますか?

レイア:28年です。私の場合、「地球上でいちばん心地の良いところに住みたい」というのが(ハワイに移住した)動機でした。日本は大好きなんですが、住むにはかなり窮屈さを感じます(笑)。日常はいつもリラックスしていて、刺激を求めて世界のあちこちを訪ねることが理想だと思ってきました。

一照:アイアグリー、僕もそこは同意します(笑)。それでハワイでロミロミを? とても面白い展開ですね。

レイア:普通の人は逆なのかもしれませんよね。仕事のストレスを癒しにハワイに行くわけですから。でも、私にはそれが合っていたんです。それで何とかなりましたしね(笑)。

ロミロミは総合的なヒーリングのテクニック

一照:そう言えば、ハワイで腸のクレンジングの合宿をされているそうですね。

レイア:はい。コロン・クレンジング(腸内洗浄)の施設は世界中にありますから、「別にどこで行ってもいいんじゃないか」と思われるかもしれませんが、私のなかでは、大自然のなかで腸を浄化することにとても大きな意味があると感じているんです。

一照:それでハワイで始められたわけですか?

レイア:(コロン・クレンジングの合宿は)マウイ島ですね。ロミロミというとマッサージのイメージが強いかもしれませんが、もともとハワイでは総合的なヒーリングとして根づいていたんです。西洋医学が広まる前、昔は自然療法しかなかったですからね、予防医学でもあり、治療でもあり……そうしたロミロミのなかに「腸をきれいにする」ということも入っていたんです。

一照:なるほど。もともとハワイにあったものなんですね。

レイア:はい。大自然の波動に合わせるには腸、細胞のクリーニングがとても大切で、それはハワイアンがずっと昔からやっていたことです。
 まったく同じやり方でなくても、いまの時代の人たちが抵抗ない形で蘇らせられたら、都会の生活でストレスがたまり、精神的にまいっている方も生まれ変われると思うんです。

一照:いやあ、その点でハワイはぴったりの空間ですね。

もともとあるものに感性を研ぎ澄ませる

レイア:ロミロミには、こうしたコロン・クレンジングのほかに、お腹をマッサージする施術もあって、「オプフリ」と呼ばれています。今回出版した本(『ハワイ式腸のマッサージ』)では、自宅でもできるセルフのオプフリを紹介しているんです。

一照:腸のマッサージというと、日本では按腹、中国や東南アジアにはチネイザンなどがありますね。野口法蔵さんの「坐禅断食」もちょっと似たところがあるかもしれません。3日間のプログラムで、坐禅と断食による身心の浄化を一緒にやるんですが、わりと無理がないので結構広まってきているんですよ。

レイア:私がお伝えしているのはハワイ式なので、無理は何もないですよ(笑)。自然に、ラクにできることしかやっていません。苦行のなかから何かを見出すことにも価値はあると思いますが、私は自然体に帰った時に感じられるものを大事にしているんです。

一照:僕もそっちのほうがいいかな(笑)。修行というと、上へ上へ行こうとするところがあるでしょう? 苦しいことに耐えて、その代わりいいものをゲットする、みたいなメンタリティで。

レイア:みんなが自然にできること、そういうシンプルなところに行き着く真実があると思います。ハワイアンは、その土地を尊敬して、風、水、土など大自然のエレメントを大事にして、すべてとつながりのある生活をしてきました。そのなかに自然治癒力を伸ばす、五感あるいは第六感をとぎすますエッセンスがたくさんあったんだと思います。そうした、もともとあるものにたどり着くことが大事だと思うんですね。

ハワイの養子縁組制度を通じて叡智を受け継ぐ

一照:レイアさんは、そういう考えや技法を誰かから教わったんですか?

レイア:(誰かに教わったのは)順番としては後からなんです。普通は答えを求めていろいろと探求するのだと思いますが、始めは何気なく、大自然のなかでボーっとしていただけなんです。
 これでいいんだと無条件に思えて、パワーが自然と湧いてくるのですが、それがどこから来るのか? 大自然のなかで、決して学問的ではないけれど、学んでないことが答えになって出てくるんですね。

一照:学んでいないのに、答が向こうからやって来る!? それは便利でいいな(笑)。

レイア:ハワイアンの先生のセミナーを企画したのですが、彼女たちと話せば話すほど、私のほうがわかっている感覚があって。そんなときに相談したのが、形而上学博士で、ハワイアンのスピリチュアリティで学位を取っているエリース・マヌハアイポ・カーン博士だったんです。「ハワイアンのいい先生いませんか?」と。

一照:自分にとっていい先生を紹介してもらおうとしたんですね。

レイア:ええ。でも、カーン博士は、「なんで先生が必要なの?」って不思議そうな顔をされて。「日本人はブランド志向だから、ハワイアンの先生でないとダメなんです」と言っても、「なんで?」と。「あなたがやればいいじゃないの。なんで日本人ではダメなの?」「だから、ハワイアンでないと……」そんなやりとりをしているうちに、「あなた、私の娘になりなさい」とカーン博士がおっしゃられたんです。

一照:本当に養子縁組? 養女になられた?

レイア:ハワイには「ハナイ」と呼ばれる養子縁組の制度があって、血筋と関わりなく、継承者が決まったら養子になれるんです。アメリカ合衆国の法律とは違いますが……。

一照:なるほど、伝授のためのイニシエーションのようなものですね。古典フラをやっている知り合いがいますが、その方もそういう感じで先生から伝えられたのかな。

レイア:以来、ハワイのいろいろな方に紹介していただいて、(コミュニティのなかで)認知されていった感じです。もっとも、養女になることで肩書きのようなものは得られましたが、私自身は何も変わりませんでした。ただ私が(ハワイアンでないとダメだと)こだわっていただけだったんですね(笑)。

ロミロミを通じてハワイアン・スピリチュアリティを伝える

レイア02.png

一照:ロミロミの技術も、その過程で学んでいったんですか?

レイア:技術はすでに何人もの師から学んでいたのですが、大自然から学んだハワイアンのスピリチュアリティを伝えるために何ができるかを真剣に考え、その方法としてロミロミを選びました。ハワイアンのスピリチュアリティを世界でいちばん理解できるのは日本人だという感覚があったので、ロミロミを通じてたくさんの人に目覚めてほしいという思いがありました。

一照:ロミロミを通じて、日本人にハワイアン・スピリチュアリティを伝えようとしてきたわけですね

レイア:はい。いまのロミロミはキリスト教の影響を受け、かなり変わってしまった面がありますから、それではない、西洋文化が入ってくる前のロミロミを大事にしたいと思っています。数年前に州のライセンスを取って正式に教える資格は持っていましたが、カーン博士からさらに奥深いロミロミのエッセンスを受け継ぎ、目には見えないけれど確かに存在している古代ハワイアンの叡智を私なりに伝えていくようになりました。

一照:最初からそのためではなかったけれど、ハワイで暮らすことで自然とそうなっていったんですね。

レイア:行きたいけれど行けないと悩んでいる人が多いですが、何とかなると思うんです。私の場合、日本で結婚して、子供もいたのですが、主人が事故で亡くなってしまって。乳飲み子を抱えて独り身になったのですが、それは自分で将来を決断できる状況でもあったんです。そこで新しい人生をスタートするために、気候が良くて住みやすいハワイを選び、ハワイ大学の学生ビザを取って移住しました。その後グリーンカードを取り、B&B(民宿)の仕事を始めてずっと暮らすようになったんです。

一照:(お腹を指しながら)みんなここでは「したい」という気持ちがあるけれど、(頭を指しながら)上のほうで不安になっているわけです。もっと感じるままに生きていいと思うんですけどね。

風に舞うように、風を信じて生きていく

レイア:一照さんの場合はどうだったんですか?

一照:師匠から「アメリカに行ってみんか?」と言われまして。当時、お坊さんというと、家がお寺なのでしかたなく後を継ぐみたいな人ばかりで、僕のように修行がしたくて自発的にお坊さんになった人間は少数派で浮いてしまい、モヤモヤしているときに、師匠からそういう電話があったんです。で、30秒くらい考えて、「行きます」と(笑)。こっちにいるより未知の国のほうがずっと面白いだろうって思ったんです。

レイア:アメリカでの暮らしはどうでしたか?

一照:実際、とても面白かったですね。ただ、50歳になった時、「自分が死んだら家族はここ(禅堂)を出なくてはならない。しかし、どこにも行くところがないんだ」ということをハッと考えるようになりまして。
 ここ(いま居住している葉山の別荘)の持ち主になる人が、そのタイミングで住み込みの管理人にならないかとすすめてくださったんです。それで日本に帰ってくることになったんですが、むしろアメリカに行く時よりも、日本に帰ってくるほうが、うまく適応できるか不安でしたね。結果的にはうまくいきましたが……。

レイア:環境がかなり違いますからね。

一照:ここも自然がありますが、(アメリカでは)もっともっと奥深い林の中にいたんです。だから、ここに来たとき、娘たちが「隣に見える家があるんだね」と言ったほどです。アメリカの田舎って、郵便物を一軒一軒配ってくれないので、10分くらい歩いて郵便受け箱まで取りにいっていたんです。

レイア:アメリカの田舎は広いですからね。

一照:クマよけに鈴を振ってね(笑)。あれはあれでよかったですが、思春期に近づいた子供たちには社会的な刺激が少なすぎる気がしていましたから、その点では、日本に帰ってきてよかったと思っています。
 僕の場合、お坊さんになった段階で将来の計画をすべて白紙にしたので、枯れ葉が風でどこかに吹き寄せられるように、縁のあるところへなりゆきで動いて行こうと思っています。ある意味、風を信じて生きています。こちらへおいでと誘われればそこに行くというだけで、不安はないですね。

レイア:将来、アメリカに戻るというのは?

一照:多分、それはないでしょう。ハワイならいいかもしれないですが(笑)。ハワイで坐禅のワークショップとかやってほしいという声もあるにはあるんです。ただそれも、風に任せですね。

レイア:今日はお話ができて楽しかったです。

一照:レイアさんのお話を伺って、日本的霊性とハワイアンのスピリチュアリティは共通点も多そうだなと感じました。またゆっくりお話ししましょう。

hawaii02.png
photo from official site of Leia Takahashi

photo:Holy(Waipuhia)
text:Takanori Naganuma
レイア高橋 Leia Takahashi
ハワイアン・ドリーム・クリエイションズ(HDC)代表。
ハワイを拠点に、ヒーリング・セラピストとして活躍。「ロミロミ」の伝統的スタイル(マナヴァヒ・スタイル)のカフ(継承者)として、ハワイに古くから伝わる生き方の哲学「フナの教え」に基づいた質の高い教育プログラムを提供している。古代ハワイアンの歴史や文化をはじめ、浄化のための瞑想法、呼吸法、チャント詠唱法などを伝えるほか、世界各地で聖地ツアーを主催。地元ハワイの教育テレビ番組で古代ハワイ文化のスピリチュアリティを伝える講師として活躍するなど、心と体の癒しを求めるすべての人に愛のエナジーを送り続けている。
著書『癒しのパワースポット』シリーズ、『フラ・カヒコ 魂の旅路』、『宇宙に愛される幸運エナジーの法則』、近刊として『ハワイ式腸のマッサージ』、『miracle healing Power〜奇蹟の時間に体験した天使たちのメッセージ』(電子書籍)がある。
公式サイト

藤田一照 Issho Fujita
1954年、愛媛県生まれ。灘高校から東京大学教育学部教育心理学科を経て、大学院で発達心理学を専攻。院生時代に坐禅に出会い深く傾倒。28歳で博士課程を中退し禅道場に入山、29歳で得度。33歳で渡米。以来17年半にわたってマサチューセッツ州ヴァレー禅堂で住持をつとめ、近隣の大学や瞑想センターでも禅の講義や坐禅指導を行う。2005年に帰国、現在、神奈川県葉山を中心に坐禅の研究、指導にあたっている。2010年より曹洞宗国際センター所長。Starbucks、Facebook、Salesforceなど、アメリカの大手企業でも坐禅を指導する。
著作に『現代坐禅講義−−只管打坐への道』、『アップデートする仏教』(共著:山下良道)『僕が飼っていた牛はどこへ行った?』(共著:長沼敬憲)、『青虫は一度溶けて蝶になる』(共著:桜井肖典、小出遥子)、『退歩のススメ』(共著:光岡英稔)、訳書に『禅への鍵』『法華経の省察』、『禅マインド ビギナーズ・マインド2』などがある。
公式サイト
大空山磨塼寺
Follow me!