湘南PEOPLE VOl.44 田上彩さん
2020.05.04
「畑をやってみたい」
揺れ動く時代の中で、家にいる時間が長くなり、先行きの見えない不安を感じてそんな思いを胸に抱き始めた人も少なくないかもしれません。自宅のテラスで野菜を育ててみたり、思い切って畑を借りてみたり。「生きる」ということに改めて目を向けたとき、野菜づくりは人の心に自然と湧き上がる必然的な欲求なのかもしれません。
そんな思いに何年も前に突き動かされ、畑を始め、さらに発酵の世界にも足を踏み入れた田上彩さん。彩さんの場合は、自分自身が身を置いていた華やかな世界と自らの内面にあった健やかさとのギャップが、そのきっかけになったそう。20代の半ばにリアルに生きるということに気づき、自分の活動を紡いできた彼女。都内の若い女性たちの食に対する意識を変えたくて、また同じ思いを共にする女性たちと繋がりたくて発信し続けています。その根底にある思いを聞きに藤沢にある畑を訪れてみました。
最近新たに借り始めたという畑は綺麗に土が耕され、芽吹いた野菜の種たちが若葉を伸ばし成長の季節を待っていました。満面の笑みとハイトーンの声で元気に出迎えてくれる彩さん。モデルとしてキャリアをスタートし、ミスユニバースのファイナリストにまで選出された経験を経て、いま彼女が向き合っているのは畑の土であり、微生物が活動する発酵のこと、有機的な食のことです。30歳を少し過ぎた彩さんの面持ちは、可愛らしさに成熟という深みが加わり、20代の半ばに初めて会った頃より、さらに芯のある美しさとして映りました。
FAKEの世界から、REALな生き方へと
当時、六本木のハイファッションを扱うブティクで働き、モデルとしても活動していた彼女は、まさに瑞々しく世の中を泳ぎ回る魚のようで、キラキラとスパークルしていました。一見、「いまどき」という言葉が当てはまりそうな軽快な言葉の受け答え。ただその軽やかさの中に薄さはなく、丁寧さがありました。若くして大人との接し方もきちんと知っていたのは、ミスユニバースのトレーニングを受けていたこともあったのかもしれません。でもそれだけではなく本来の「人に対する愛」というのが、彩さんの中にあるからなのでしょう。
変わらない口調のなかに、しっかりとした知識や考えがあることが新鮮で、この数年の間にどれだけのことを学び、経験してきたのかがはっきりと伝わってきます。その流れを紐解くように話を聞き始めると、今の人生への転換となったのが20代の初めに経験した東京での暮らしがFAKEに感じたから、という言葉でした。そしてその後に選んだ行動は、REALに生きるということでした。
湘南で生まれ育ち、もともと海は好きだったけれど、サーフィンを始めたのは、ミスユニバースでのレッスンの合間に夜行バスで通った福島の海で。仲の良かった友人が移り住んだ土地に現実逃避をしていたという彩さん、周りの仲間は皆サーファーで自然に導かれたのだと言います。そして「海に入ったらすべてがリアルに感じられて、何だろう!これは」と驚いたのだとか。「つくられてない世界がすごく心地よかったんです」。モデルを続けるかどうかに迷いがあった時期でもありサーフィンにはまっていきます。2年近く、波を求めて旅するような生活を続けたのちに、こんな生活を続けるわけにはいかないと思い直し、再び東京へ。モデルの仕事をしつつも、ブティックで働き始めます。それが冒頭の頃です。
「ゼロから1を生み出したい」と畑をスタート
けれども「3・11」の頃から心にモヤモヤと浮かんでいた疑問は、東京の消費社会を目の当たりにしてさらに大きくなっていきました。「自分のやっていることは、みんなをハッピーにしているのだろうか」、「自分たちの生活はすごく脆いのではないだろうか」。そんな思いから「ゼロから1を生み出したい」と、畑へと心が動きます。湘南の高校時代の先輩たちに声をかけ、まずは畑を借りるところからスタート。そこで出会ったのが、大きく影響を受けた人物、湘南の創作発酵料理とほうとうの店、「へっころ谷」のオーナーです。1年近く、客として足繁く通い「畑をやってみたい」と言い続け、とうとう畑を借りる道をつけてくれた存在であり、その後、店でも働かせてもらい、自然栽培の畑のことから発酵のディープな知識までを教えてもらった師匠のような人。
彩さんが自然食や発酵食に向いていったのには、もうひとつきっかけがあります。実は子供の頃から重度のアトピーだったのですが、母親が自然食を選び、ほとんど薬も飲ませないでいてくれた。そして食の大切さを教えてもらったと言います。東京で出会ったモデルや芸能界の若い女性たちは、その真逆の食生活をしていたのだとか。薬に依存する友人を間近に見て、「腸内細菌が死んじゃうよ!!」と言ってもなかなか理解されない。けれどいよいよ目の前で友人が倒れたのを見て、「本格的に食の大切さを伝えないと、女の子たちがダメになっちゃう」と危機感をもち活動を始めました。
まずそんな友達を自分の畑に連れてきて土を触らせたり、味噌づくりを教えたり。最初は忠告を聞き流していた友人も、薬をやめ、今では彩さんの味噌づくりWSの主催者になっているほど、人生を大きく変える影響を与えることになりました。でもそれは一方通行ではなく、「自分もそんな友人に会っていなかったら、土の大切さも、発酵の大切さも、食の大切さも、気づかなかったかもしれない」と振り返ります。
発酵食をPOPに本質的に伝えていきたい
さまざまな思い、経験が糸のように縒り合わせられて、今の彩さんとなっています。自らを発酵人と言う彼女の思いは、発酵の素晴らしさをこれまでとは違うアプローチで世の中に知らせることへと向かっています。ある一部の人だけに強く支持されている発酵食にリスペクトを払いながらも、もっと多くの人に楽しく理解して欲しい。そのためには、彩さん曰く「POPに本質的なことをやっていく」ということです。
ここでいう「POP」とはどういうこと?と説明を求めると、「湘南では発酵に関する素晴らしい知識をもっている人が多くいます。東京ではヴィーガンやオーガニックのレストランはいろいろあるけれど値段が高く表面的なものも多いように思います。でも消費の中心は東京にあります」。発酵食を浸透させるためには、ある意味華やかな形で東京で発信する必要があると。
地味で淡々としたイメージのある「発酵」という言葉。でも実際にはもっと若い女の子たちが楽しく取り入れた方がいいものだという考え。「毎日の食は女の人がベースにあります。『発酵や保存食は昔からのクールなものなんだ』と若い女の子たちが憧れてくれるような食の集団となって発信すれば、彼女たちを中心に浸透していきます。そんな料理を食べて腸がハッピーになったら、ファミリーが元気になって、男性たちも生き生きしてくる」。視線は社会全体への影響を見越しています。
あえてPOPにすることで、たのしく浸透させていきたいという狙い。その一環として、モデルの森星さんと立ち上げたキッチンカーを使ったポップアップショップ「Miss. Eden」。これまで3回行なったところとても好評だったと声が弾みます。さらに「やりたいことがあっても、それをどう社会に発信していいのかわからない。そんな女の子たちにアウトプットの方法を教えてあげたい」とガールズファーマーズマーケットを率いる姿は、まさに多くの女の子を元気付ける存在です。
自然食と社会をつなぐ媒介として
ふと思うのは、ミスユニバースでの経験は、こうした本質があって地味に映るものが世に出るためのストラテジーを彩さんが学ぶ機会だったのかもしれない、と。経済機能と自然との営み、ふたつの交わりにくい世界を繋げる媒介として、彩さんの存在が生かされています。21歳だった彼女は半年間毎日、自分がどうしていきたいかをはっきりと話せるようなトレーニングを受けました。「でも自分の言葉を見つけられなくて、自信をなくしてしまったんです。本当は何をしたい、どんなふうに生きていきたいか、本質を問われ続け、真剣に考える6ヶ月間でした」。その答えはきっとゆっくりと時間をかけて明確な言葉になり、今があります。
携わっている固定種の種のブランドに「organic disco」と名付け、先月スタートしたばかりなのにすでに評判だと喜びます。湘南に住み、波があればサーフィン、そうでなかったら走り、畑に出て、発酵料理を作る。そんな日常を送る彩さんは、自らが光を発して時代の数歩先を行き、女子だけでなく男子もそれにしっかりついてきています。リアルで本質のあるガールズパワーがこれからの日本を引っ張って行くと思うと、ワクワクせずにはいられません。
interview & text : sae yamane
photo : yumi saito
coordination : yukie mori
田上彩
発酵人。湘南生まれ、湘南育ち。10代後半よりモデルとして活躍、ミスユニバースのファイナリストを経験。その後、無農薬の野菜づくりを始め、発酵食の世界へと造形を深めていく。味噌、甘酒、梅干しづくりなどのワークショップを開き、昔ながらの手仕事や発酵食を広めるプロジェクト「Eden」を主宰。ガールズマーケットやキッチンカーを使ったポップアプショップが若い女性たちの注目を集めている。一方、固定種を扱う種ブランド「organic disco」の販売をスタート。太陽と海をこよなく愛するサーファーでもある。
instagram@taueaya
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