湘南PEOPLE VOL.22 角野栄子さん

main.jpg
アニメや実写映画にもなり、世代を超えて親しまれる『魔女の宅急便』。その著者である童話作家・角野栄子さんは、海も山も味わえる鎌倉に居を構えられています。東京生まれでブラジル移住の経験ももつ角野さんが鎌倉を愛する理由、そして童話への深い思いをうかがいました。
― もともとのお生まれは東京だそうですが、ブラジルに移住されていた経験をおもちだとか。

角野 生まれは東京の深川です。出版社に勤めていましたが、1957年に結婚して、2年後にブラジルに移民として渡りました。日本の事情は今とずいぶん違っていて、自由に海外渡航などできない時代だったんです。でも海外の文化に触れたかったので、そういう手段をとりました。2ヶ月船に乗って渡りました。
1.jpg― ブラジルでお仕事もされたのですか。
 
角野 もちろん、日本円をもっていてもドルに変えられない時代でしたからね。しばらくは言葉ができませんから仕事をするわけにもいきませんでしたが、半年ぐらい経った頃から現地の短波放送の営業をやりました。奥地のほうに住んでいる日本人に向けてのラジオ局で、日本の歌を流していましたね。日系人だけで数十万人いましたから。アメリカの農薬や肥料の会社がスポンサーになってくれました。

― 当時のブラジルは、住んでみてどんなところでしたか。

角野 いいことづくめ(笑)。楽しかったですよ。地球の反対側へ海を渡る経験だけでも、素晴らしかった。いろいろな人と友達にもなれました。2年経ってお金ができて、ヨーロッパやカナダへ行きました。ヨーロッパは車で9000キロを走りました。

― 9000キロですか! そこでの様々な経験が、童話を書くということに導いていったのでしょうか。

角野 帰ってきたら、東京オリンピックから大阪での万国博覧会開催へと日本は高度成長時代に入っていました。「国際化」という言葉が掲げられて外国文化を理解しようとする動きが大きくなっていたんです。それで「外国の子どもの暮らしを紹介してもらえませんか」と編集者に言われ、物を書く仕事が始まりました。
最初の本が『ルイジンニョ少年〈ブラジルをたずねて〉』です。これはノンフィクションなんですよ。まさか私が経験を本にすることになるとは思いませんでしたね。でも何回も書き直しているうちに、楽しくなっていきました。
2.jpg
― 『魔女の宅急便』も、ヨーロッパを旅された経験などがもとになっているのですか。
 
角野 あれはね、私の娘が箒で空を飛びながら、ラジオを聴いてる魔女の絵を描いていたんですね。ちょうど彼女が12歳だったので、絵のような12歳の魔女の話を書こうと思い立ったんです。その後、ルーマニアなど、魔女の歴史を調べて訪ねたりもしましたよ。第1巻を出したら読者から「その後、キキはどうなったんですか」という手紙がどんどん来て、とうとう6巻も、24年間かかりました。
3.jpg
― 角野さんの描かれる魔女は愛すべき存在ですよね。魔女というと、怖い印象をもつ人もいるとは思いますが。
 
角野 いろいろ調べていると、そもそも魔女はお母さんのような存在だったのです。自然界の様々なもの、森の木や草などに、子供を元気にする力があると信じ、敬うようになっていきました。それが魔女の薬草の始まりです。八百万の神を信じる人たちだったのです。やがて一神教であるキリスト教が入ってきて、力を持つようになると、この魔女の自然信仰は迫害されるようになります。魔女は薬草を使うのが上手だったので、医者や産婆の役目もしていたのです。当時は不思議なことが出来る人と思われたのです。それで「人心をたぶらかすもの」として怖れられ、否定されたのだと思います。また時には権力に利用され、スケープゴートにされたこともありました。

― 誰にもできないことをできてしまう畏怖が恐怖になっていったのかもしれませんね。角野さんの作品では『おばけのアッチ』のシリーズも人気ですね。魔女やおばけは、子どもが自然と好奇心をもつ存在なのかもしれませんね。

角野 子どもは「こわい」という感情をもちやすいですから。「こわい」けど「見たい」なのよね(笑)。
4.jpg
― 童話をずっと書いてこられて、向いていたと思われますか。
 
角野 私は絵を描くのも好きなんです。だから、文章も目に浮かぶように書く。それが子どもたちに合っているのかもしれませんね.面白いことをしてみたいという好奇心の強さもあって、童話に向いていたのだと思います。若いときの文体は力はあったけど少々饒舌、だんだん言葉が削ぎ落されて言いたいことがきちんと言えるようになりますね。

― 鎌倉という場所が作品に与えるものはありますか。
 
角野 2001年から鎌倉に住んでいますが、海が好きなのでね。ぶらっと5〜6分歩けば海を見に行けますし。散歩しながら、ふと物語が思い浮かぶことはありますね。海のこと、小鳥の声は、私の作品のあちらこちらに出てきます。
 とんびもいるわね。そういえばこの間、御成通りを歩いていたら、前を歩いていた外国人がハンバーガーをもっていたんですね。トンビがさーっとおりてきて、一瞬のうちにさらっていったの!びっくりしましたねえ。でもトンビはいい声で鳴きますね。


― それはびっくりしますね(笑)。海のほかにお好きな場所はありますか。
 
角野 妙本寺はいいですね。空間に飛鳥時代の雰囲気が感じられて、ぼーっとしているのはとてもいい気持ちです。住んでいながら、旅をしているようにいろんなものを見つけられるのが、鎌倉のいいところですね。

(撮影 斉藤有美、インタビュー・文 森 綾)
5.jpg
6.jpg

角野栄子 PROFILE

東京生まれ。大学卒業後、出版社に勤務。1959年、移民としてブラジルに渡る。帰国後、ブラジルでの体験をもとに描いた『ルイジンニョ少年、ブラジルをたずねて』(ポプラ社)を出版。1984年「わたしのママはしずかさん」(偕成社)で第6回路傍の石文学賞、「ズボン船長さんの話」(福音館書店)で旺文社児童文学賞、85年「魔女の宅急便」(福音館)で第23回野間児童文芸賞、第34回小学館文学賞、IBBYオーナリスト文学賞など多数受賞。「魔女の宅急便」は宮崎駿氏によりアニメ映画化され大ヒット。また「アッチ コッチ ソッチのちいさなおばけシリーズ」(ポプラ社)はもシリーズ化し、全巻23巻に及ぶ。2000年には紫綬褒章を受章。
魔女の宅急便
Follow me!