湘南PEOPLE VOL.5 山本容子さん

鎌倉にはシックなバルール(色調)が似合う。あの小さいところ、というイメージね

‘86年から鎌倉・材木座に住み、今は当地にアトリエだけを残す、銅版画家の山本容子さん。鎌倉で暮らした季節のなかには、迷い込
んできた一匹の犬、ルーカスとの思い出が詰まっています。
来年1月5日〜11日、伊勢丹府中店で開催される「音楽のための展覧会」を控えた山本さんに、ルーカスと鎌倉の懐かしい日々と、現在も楽しんでおられる、湘南の四季の楽しさについてうかがいました。
― ご著書の『マイ・ストーリー』(新潮社)を拝読しますと、今は都内にお住まいのようですが、’86年から鎌倉に住まわれたことがあるのですね。

yoko_01.jpg山本 はい。アトリエは今もそこにあります。倉庫にもなっていて、ここ数年描いている大きな油絵などもそこに置いています。今の都内のアトリエよりにあるよりも大きなプレス機もあるんですよ。
家を探し始めた当時、32歳くらいだったかな。私は生まれ育ったのが大阪・堺の大浜海岸というところで、子どもの頃は海岸が遊び場だったので、海辺に住みたいという思いがあったんです。大きなプレス機を置ける物件があるのかどうか疑問でしたけれど、駅前の不動産屋さんに通いつめるうちに40坪で古屋付きの材木座の物件に巡り合ったんです。

― 材木座… 念願の海のそばで、ロマンティックでアーティスティックな生活が始まったわけですね。
 
山本 そう思ったんだけど、現実は大変でした。古屋の縁側の部分を壊し、温室に使う硝子をサッシ組にして囲み、二畳くらいの広さにコンクリートを流し込んで、プレス機を置く場所をやっとつくりました。
ところが雨漏りがするんですよ。雨が降ったら、家のなかで傘をさすの。自分にじゃなくて、プレス機にね(笑)
― そんなご苦労があったとは。その頃に、ルーカスと出会われたんですか。

yoko_02.jpg山本 そこに住み始めて2年くらい経った頃、ちぎれたビニールの紐を首につけた、一匹の犬が迷い込んできたんです。
医者に連れていったら、生後6ヶ月だというの。
私は旅もあるし、犬を飼える生活じゃないと思って、なんとか飼い主を探そうと、手描きの絵をあちこちにぺたぺた貼ってみたものの、警察の人が「捨てられたんじゃないですか。よくあることですよ、このあたりの海辺では」おっしゃる。
それで、かわいそうで捨てるわけにもいかず、飼うことになったんです。
せめて立派な名前をつけてあげようと思って。ウィーンの美術館で見たルーカス・クラナッハという人の猟犬の絵にそっくりだったから、ルーカス・クラナッハと命名しました。

― ルーカスはすぐに鎌倉の容子さんのお宅になじめましたか?

山本 賢いヤツでしたから、教えたことはすぐにわかるの。野性性が強くて、家のなかではおしっこしないし。
鎌倉の材木座海岸は、いろんな犬を散歩させている人がいますよね。ほとんどの犬が血統書付きでしょ。私がルーカスを連れて散歩すると、警戒してさっと自分の犬を抱き上げられちゃったりして。でも、ルーカスに恋した大きな顔のジャーマンシェパードの女子もいたのよ(笑)。
ルーカスはたぶん、日本犬のルーツでもある「ディンゴ」という品種だったのではないかと思いますね。

― ルーカスは、ずいぶん長生きしたんですよね。

山本 16〜7年生きたのかな。脳溢血になって、それでもがんばって生きて、最期は老衰だったけれど。水も飲めず、注射器であげたりして。
― お庭のお墓の墓石は、つくられたんですか。

yoko_03.jpg山本 あれはルーカスが亡くなった後、バリ島でたまたま見つけたの。お店の看板のような存在だったのだけれど、現地の友達に頼んだら交渉してくれて。「この人は今、大好きな犬を亡くしたばかりなんだ」と言ってね。お店の人がじゃあ譲ろうということになったら、その友達は「そういうことだから、高い値段を言ったらバチが当たるよ」みたいなことを言ってくれて… (笑)。
― よかったですね。今もルーカスがいるみたい。… ところで、今も鎌倉のアトリエには通われているのですね。

山本 行かざるを得ないというか。でも、今年は頻度は少なかったですね。年に一回、外階段を塗り替えるんですが、今年は紺色にしました。

― シックでいいですね。

山本 鎌倉にはシックな色が似合うと思うの。私が引っ越した当時は本当にシックな色合いの場所だったんです。大仏っちゃんもあるような観光都市なんだもの、赤やピンクを使っちゃいけないとは思わないけど、もっとテラコッタに近い色とかにしてもらいたいですね。ウエストコーストみたいな派手なピンクやペパーミントグリーンは似合わない。
これから家を建てる人は、もっとバルール(色調)を考えてもらいたいですね。
鎌倉という町は「あの小さいところ」というイメージ。つつましい感じが欲しい。
たくさんの人が訪れるのは素晴らしいことで、人は何を着ていてもいいけれど、その受け皿になる町はシックじゃないと美しくない。
― 鎌倉で暮らしておられた頃の、楽しみ方を教えてください。

yoko_04.jpg山本 冬でも材木座の海岸に毛布をもって裸足で出ていって、シャンパンを飲んだりしていましたね。「寒いのがいいなあ」なんて、いいながら。
冬の海は冬の海で、いいものよね。海の家がなくなると、景色がすっきり変わって。
春は春で、わかめ採りをしたり。わかめしゃぶしゃぶをしたわ。採り立ての生のわかめをお湯につけると、さーっと鮮やかな緑になるの。それを酢醤油で食べると、とても美味しいのよ。
アトリエには小さなバルコニーがあったので、夏は枝豆をたくさん茹でて、みんなで鎌倉の水中花火を見たり。
みんなみんな、地元ならではの楽しみですね。

― さすがにどこにいても、山本さんは生活の楽しみ方が豊かですね。

山本 鎌倉は美術館もいいです。常設にも質のいいものがあるし。
ものをつくるのに適度な静かさもある。楽しいところですよ。

私と鎌倉

yoko_05.jpgルーカス・クラナッハとの思い出は2冊の本になりました。
亡くなってから描いたのが『犬は神様』(講談社)で、たくさんの思い出が詰まっています。
撮影・初沢亜利
インタビュー・森 綾
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