湘南PEOPLE VOL.19 大内まりさん
2014.04.13
「感受性を養う頃に鎌倉の自然にふれたことは大きな引き出しになりました」
鎌倉生まれの鎌倉育ち。モデルとして大活躍、女優として映画にも出演していた大内まりさん。現在はご主人とお子さんとで都内在住ですが、時々、実家のある海辺に帰ってくるのが楽しみだそう。子どもの頃の彼女がまだそこにいそうな御成小学校での思い出など、美味しい紅茶を飲みながら話がはずみました。
― お生まれも鎌倉で。何歳までこちらで過ごされたのですか。
大内 海辺の産院で生まれたんですよ。結婚したのは25 歳頃ですから、それまではずっと鎌倉の実家で過ごしました。父親が一人暮らしを許してくれなかったものですから、東京で仕事があっても通っていたんです。結婚するまで、門限は10時半だったんですよ(笑)。
― じゃあ学校もずっと地元だったんですね。
大内 はい。御成小学校に通っていました。なぜかしら、いまだにふっと、夏の通学路がフラッシュバックするんですね。きりきりするくらい暑い陽射しのなかをニイニイゼミが鳴いていて、誰もいない道が続いている、というような。友達と一緒に、空き家の洋館をのぞきにいったり、つつじの花のしっぽの蜜を吸ったり。御成小学校では、遊具よりも本物の木で遊んでいた記憶がありますね。
大内 海辺の産院で生まれたんですよ。結婚したのは25 歳頃ですから、それまではずっと鎌倉の実家で過ごしました。父親が一人暮らしを許してくれなかったものですから、東京で仕事があっても通っていたんです。結婚するまで、門限は10時半だったんですよ(笑)。
― じゃあ学校もずっと地元だったんですね。
大内 はい。御成小学校に通っていました。なぜかしら、いまだにふっと、夏の通学路がフラッシュバックするんですね。きりきりするくらい暑い陽射しのなかをニイニイゼミが鳴いていて、誰もいない道が続いている、というような。友達と一緒に、空き家の洋館をのぞきにいったり、つつじの花のしっぽの蜜を吸ったり。御成小学校では、遊具よりも本物の木で遊んでいた記憶がありますね。
― ブログを拝見しましたが、その頃のことがまるで少女小説のように記されていて、わくわくしました。
大内 ありがとうございます。みんな本当の話で。よく友達と山に行ったりしましたね。
― 海の近くで育っていらっしゃるけれど、山がお好きなんですね。
大内 海より山が断然好きですね。葉っぱを集めたりしたなあ。海はあまりに近過ぎて良さがわからなかったのかもしれません。私、海の家の利用の仕方が長い事わからなかったんです(笑)。実家から海まで、歩いて7 分くらいだから、水着にTシャツを羽織ってビーサンで行って帰ってきていましたし。東京に住んで、家族で旅行に行って海の家に行ったとき「どこで着替えるの」とか「シャワーっていつ浴びるの」とか言ってましたね(笑)。
大内 ありがとうございます。みんな本当の話で。よく友達と山に行ったりしましたね。
― 海の近くで育っていらっしゃるけれど、山がお好きなんですね。
大内 海より山が断然好きですね。葉っぱを集めたりしたなあ。海はあまりに近過ぎて良さがわからなかったのかもしれません。私、海の家の利用の仕方が長い事わからなかったんです(笑)。実家から海まで、歩いて7 分くらいだから、水着にTシャツを羽織ってビーサンで行って帰ってきていましたし。東京に住んで、家族で旅行に行って海の家に行ったとき「どこで着替えるの」とか「シャワーっていつ浴びるの」とか言ってましたね(笑)。
― 鎌倉での思い出は山が中心ですか。
大内 小学校の頃は鎌倉市の図書館にもよく行きました。絨毯敷きのところがあって、絵本を読んでごろごろしていましたね。地味なところだけど、とても好きでした。
それとね…、小学校のときにすごく鮮烈だったのは「お道具箱にするのに缶をもってきてください」と先生が言ったら、ほとんど全員が鳩サブレの缶だったのを覚えています(笑)。
― あはは。誰が誰のか、わからなくなりそうですね。
今は鎌倉に帰ってくると、どんなところへ行かれますか?
大内 島森書店は必ず行きますね。それから、同窓会があると海の家でやったりするんですよ。海の家を経営している同窓生がいるので。夏は楽しみですよね。花火大会もあるし。花火が真近で、おなかにどーんと音が来るでしょ。あの感じは東京にはないじゃないですか。ビルの上に集まってちっちゃい花火を見るのはいつも寂しいなあと思ってしまいます。
大内 小学校の頃は鎌倉市の図書館にもよく行きました。絨毯敷きのところがあって、絵本を読んでごろごろしていましたね。地味なところだけど、とても好きでした。
それとね…、小学校のときにすごく鮮烈だったのは「お道具箱にするのに缶をもってきてください」と先生が言ったら、ほとんど全員が鳩サブレの缶だったのを覚えています(笑)。
― あはは。誰が誰のか、わからなくなりそうですね。
今は鎌倉に帰ってくると、どんなところへ行かれますか?
大内 島森書店は必ず行きますね。それから、同窓会があると海の家でやったりするんですよ。海の家を経営している同窓生がいるので。夏は楽しみですよね。花火大会もあるし。花火が真近で、おなかにどーんと音が来るでしょ。あの感じは東京にはないじゃないですか。ビルの上に集まってちっちゃい花火を見るのはいつも寂しいなあと思ってしまいます。
― じゃあこれからも、行ったり来たりが増えそうですね。
大内 はい。子どもたちもだいぶ大きくなったし。…そうですねえ。老後は鎌倉に帰って来たいなあ。老後っていつからですか?
大内 はい。子どもたちもだいぶ大きくなったし。…そうですねえ。老後は鎌倉に帰って来たいなあ。老後っていつからですか?
― 老後ですか… 思い立ったら老後、というわけでもないし(笑)。
疲れたら、でいいんじゃないでしょうか。
大内 そうですね。…実は20 代の頃の私は、鎌倉に生まれ育ったことがちょっとコンプレックスだったんです。田舎から出てきた人は1人暮らしだから交友関係も広がって、周囲の目も気にせず自分のしたいおしゃれができるでしょう。私は実家暮らしで精神的にも甘くてね。垢抜けるのに時間がかかったんです。ところがひと回りして、映画の仕事を始めたりすると、子どもの頃にため込んだものを引き出さなきゃいけなくなった。子どもの頃に感じたようなこと。見たこと。つまり、感覚的に求められるものですね。結局、演技をするときに必要だったのは、そんな感覚。感受性が強い子どもの頃に海や山といった自然とふれあっていたことはとても大きかったんです。だからそういうところに、また帰っていきたいと思うのかもしれませんね。
疲れたら、でいいんじゃないでしょうか。
大内 そうですね。…実は20 代の頃の私は、鎌倉に生まれ育ったことがちょっとコンプレックスだったんです。田舎から出てきた人は1人暮らしだから交友関係も広がって、周囲の目も気にせず自分のしたいおしゃれができるでしょう。私は実家暮らしで精神的にも甘くてね。垢抜けるのに時間がかかったんです。ところがひと回りして、映画の仕事を始めたりすると、子どもの頃にため込んだものを引き出さなきゃいけなくなった。子どもの頃に感じたようなこと。見たこと。つまり、感覚的に求められるものですね。結局、演技をするときに必要だったのは、そんな感覚。感受性が強い子どもの頃に海や山といった自然とふれあっていたことはとても大きかったんです。だからそういうところに、また帰っていきたいと思うのかもしれませんね。
―素敵ですね。人間にとって一番大事な感覚があるのかもしれませんね。
そのときは、またみんなで海の家で集いましょう。ありがとうございました。
(撮影 斉藤有美、インタビュー・文 森 綾)
撮影協力
Citrine
住所:鎌倉市長谷2-17-6-2F
TEL: 0467-53-7355
営業時間:11:30ー18:30
不定休
そのときは、またみんなで海の家で集いましょう。ありがとうございました。
(撮影 斉藤有美、インタビュー・文 森 綾)
撮影協力
Citrine
住所:鎌倉市長谷2-17-6-2F
TEL: 0467-53-7355
営業時間:11:30ー18:30
不定休