湘南PEOPLE VOL.41 山崎嘉子さん

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2017年の春、過去20年に渡り日本のレディスファッションに影響を与えてきたセレクトショップCherが店を閉じるというニュースが流れ、世の中を驚かせました。90年代半ば、時代はデザイナーズやコンサバから、ファッション多様性へと移り変わる頃。上質なアイテムをカジュアルに着こなす自由でクールなスタイルが、モード関係者だけではなく広く女性たちに浸透するのに一役買ったのが、1995年に原宿で始まったこのショップでした。フェミニンな個性を巧みに打ち出し、でもどこか芯のあるファッショニスタのイメージで1998年より代官山で店舗を展開。2008年に鎌倉、七里ガ浜に「CherShore」をオープンしカリフォルニアのビーチスタイル・ファッションを発信しました。Cherのロゴがデザインされたエコバッグが、街の至る所で目に映るほどの人気で話題になりました。
 Cherのオーナー、バイヤー、そしてデザイナーとして、ショップをプロデュースしてきた山崎嘉子さん。今は鎌倉、七里ガ浜でパートナーと3匹の犬と暮らしています。

七里ガ浜、海沿いを走る国道134号線に面して建つコンプレックスビルの1階に、「CherShore」はありました。初めて嘉子さんと会ったのは、その目の前の海でサーフィンをしているとき。何年くらい前だったでしょう。仕事の場面での「凄腕」という想像をしていたので、真剣な顔で波を追いかけるナチュラルな様子がかえって印象的だったのを覚えています。家は浜から車で数分の住宅街の一角にあります。

 50代前半でひとつの仕事を成し遂げ、手放すに至った嘉子さん。いったいどのように20代、30代、40代を歩み、積み上げてきたのでしょう。「その人生を知りたい」という率直な気持ちに応えるように、ちょっと早口に、そして明確な言葉で話してくれました。

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 キャリアのスタートは、すでに10代、高校生の頃です。卒業後すぐに就職する方向で、面白い仕事を見つけようと様々なバイトを経験し、その中で突出して売り上げ成績のよかったアパレル業界へ進むことを決めます。就職したのは、出身地、新潟にあったDCブランドの会社。すぐに実力が認められ、東京への転勤が決まります。希望していたアパレル業界、お給料もよく、色々なファッションに触れられる日々でしたが、ジレンマに直面します。安定して売れるという理由で個性の立ちすぎない無難なデザインの服を扱わなければならないという事実に、「わたしのやりたいことは、これではない」という気持ちが強くなります。会社を辞め、好きだったブランドに自ら売り込み、なんとか就職しますが、経済的に立ち行かなくなり結局は辞めることに。

100%自分たちがいいと思う服だけを

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「手に職をつけたい」という気持ちから、アルバイトをしながらグラフィック関係の学校を卒業、そして再びアパレル業界に戻りバイヤーの仕事につきます。保守的なデザインを扱う卸会社でしたが、この会社の社長との出会いは、嘉子さんの今を築く大切な礎となります。英語もフランス語も話せなかった彼女が「お陰で英語が話せるようになりました」と言うほどに、海外への出張も度々。買い付ける商品に関しては、「もっとかっこいい服を売りたい」と思ってはいたけれど、全体のうち「普通」の服が7割、その隙間に好きなものを忍ばせることができればよかったと言います。会社でのポジションや待遇にも満足をしていた彼女を「でも本当にやりたい、かっこいいと思う服を売りましょうよ」と3年の年月をかけて説得した女性がいます。最初の立ち上げからずっと嘉子さんをサポートしてきCherの副社長です。
 「100パーセント自分たちがいいと思う服だけを置く店をやりましょう」という言葉に後押しされ、いよいよ独立する意思を社長に話すと、本人もまた同じ30歳で独立した経験をもつ男性で、「いいタイミングじゃないか、大賛成だよ!」と快く送り出してくれたそうです。そこから10ヶ月間、仕事の後に毎日1時間の経営のためのレクチャーを受け、社長として最低限知るべきことを叩き込んでもらったそうです。

“東京”という暮らしから、海辺へと

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かくして、30歳のときにCherは始まりました。当初は苦労もありましたが、2年目に人気女性雑誌の連載が決まってからは、追い風を受けるように順調に運んでいきます。3年目に代官山のショップをオープン。当時、嘉子さんは目黒に住んで、「まさに東京」という暮らしをしていました。「仕事して、お酒飲んで、明け方帰る。週末はジムに行き、がっつり汗を流す」。超多忙で無理のある日々を繰り返すなか、30代の半ばに身体を壊し手術に至ります。「このままだと死ぬかもしれない」と実感、そこから「体を労わる」というスイッチへと切り替わりました。ハワイで過ごすことも多くなり、海への繋がりが深くなったのでしょう。
 サーフィンを始めたのは、40歳のときです。始めるにあたり、まず半年間ジムで水泳をやったというところが嘉子さんならではのストラテジー。ある目的を達成するために、総合的に計画を練り実行するやり方は、仕事だけでなく、すべてのことに適用されています。忙しい中でも「土日は、雨が降ろうが槍が降ろうが、プライベートレッスンに」と。どこまでまっすぐで体育会系なんでしょう!その後、七里ガ浜に住むことになり、さまざまな経緯が重なり、CherShore をオープンします。

楽しいことをいっぱいやれました

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 それまでもビーチに似合うファッションを提案していました。けれど「CherShoreは、ここで暮らしている人にとって必要なものをやりたかった」。その言葉通り、バケーションではなく、ローカルの日常に寄り添う服が並びました。それはひとつのスタイル提案となり、地元はもとより、この土地に憧れる人々のモードになりました。そして誰よりも、彼女自身のライフスタイルと重なるファッションだったのでしょう。CherShoreで働くスタッフは全員がサーファー。ショップのバックヤードにはボードラック。シャワーもついていました。「朝一緒に海に入って、彼女たちはそのまま仕事。たのしい生活でした」と。

 嘉子さんにとって、思っていた形が描けたのでしょうか?
「そうですね、楽しいことがいっぱいやれました」。サーフィンのあるライフスタイルを送る彼女にとって、バケーションにカリフォルニアに行って、そこで再会したアーティストと「何かやろうよ」ということが仕事につながったり。「お客様に喜ばれるのが嬉しかった」と言います。その口からこぼれた「遊びの延長で仕事をしている感じ」と言う言葉。理想的な働き方、ただその根底には、これまで積み重ねてきたことと、手を抜かない熱心さがあるからというのは、言うまでもありません。

寂しさもあるけれど、ほっとしています

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口調が少しだけゆっくりとなり、この数年の心境を語ります。「自分たちのやりたいこと、着たい服を、という感じでやってきたのですが、そこに責任が発生し、なるべく楽しいことをと思っていても、義務が生まれてきます。そこから自由になりたかった」と。
 「正直、50歳になったら、アパレルの仕事は辞めようかとずっと思っていました。感覚的なものでやってきたので、自分が50の節目を超えて、着れる服、着たい服はかわるだろうと思っていた」。それが理由のひとつです。そして、この22年を振り返り、「たのしいこともあるけれど、24時間休みがない。社長というのはそういうもの」と淡々と語ります。「洋服屋は、ハムスターみたいで春夏秋冬とずっと回っています。くるくる回る輪っかから、降りることができなかったんです」と正直に。大きく育ったCherは「あの規模の会社を女で背負うのは負担が大きい」、それを一緒に働いてきた女性たちの誰かにやって欲しいと言うことができなかったというのが、店を閉めた大きな理由でした。そしていい状態のときにどこにも迷惑をかけず辞めることを決断。かくも潔く、男前な女性。いまはやりきった気持ちの中で、寂しさもあるけれど、ほっとしていると言います。その荷の重さを想像すると、心から納得がいきます。

 話を聞いて、改めて、Cherが世の中の女性の気持ちを動かすショップだったということが理解できました。嘉子さんの「好きなこと、楽しいことをとことん追求する姿勢」が、服や空間を通してみんなに伝わっていたから。そして「やりたい」という思いを形にするためには、とにかくまっすぐ目的を見ていること。手に入れるため、克服するための準備と努力を惜しまないこと。当たり前のようでいて、なかなかやりきれないそんなことを教えられたような気がしました。

「好き」を集めた木の家で過ごす時間

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 七里ガ浜に建つ家は、木を基本にした建築。この近くで「好きだな」と思う家の多くが、鎌倉の技拓という会社の建てた物件で、そこに依頼しました。ペンキを塗らない木材は、太陽や雨風を浴び、年を重ねるごとに色が深まります。サンディエゴの友人宅やサーフショップの庭からインスパイアされた家には、嘉子さんの「好き」が集結。海あがりのひとときをのんびり過ごし、友人たちが気軽に訪れる空間。今は、自分を育てるために時間を使う嘉子さん。ピラティス、英語、そしてサーフィン。忙しく駆け抜けた二十数年分を取り戻すかのように、休憩の期間を満喫しています。

interview & text : sae yamane
photo : yumi saito
coordination : yukie mori

山崎嘉子 やまざきよしこ

鎌倉・七里ガ浜在住。伝説のセレクトショップ「Cher/CherShore」のオーナー兼デザイナーを勤めた後、2019年7月まで、カリフォルニア発のサーフウェア「SEEA」のREP&PRを担当。サーフィンをきかっけに、ハワイをはじめ世界中のビーチを旅して過ごす。タブロイド誌「Sandy magazine」(不定期発行)連載コラムにて執筆活動中。
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