あたたかな湯気で包まれる、あなたのための1杯のコーヒーを。

1杯のコーヒーで、自分だけの時間に戻れる

頬にあたる風も少し冷たく、冬の足音が聞こえてきそうなある日、葉山・森戸海岸近くにコーヒーショップ「ヒマダコーヒー」がオープンした。夏には多くの観光客や海に遊びに来る人々で賑わう森戸海岸も、秋の訪れとともにここに暮らす人たちのもとに戻り穏やかな表情になる。
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9月23日にオープンしたヒマダコーヒーは、そんな雰囲気を映し出したかのような、心地よいサイズ感のコーヒーショップだ。シンプルながらどこか温かみのある空間には、店主が一人でまかなう、ゆったりとした時間が流れる。
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「ヒマダコーヒー」。風変わりな店名に、ヒマダさんという名前なんですか?と聞かれたり、暇なお店なんですか?いやいや、暇な人が来るお店なんでしょう。と訪れる人はそれぞれが感じたことを話す。
どのようにとってもらってもいいんですよ。と穏やかに話す店主もまた、独特の雰囲気を醸しだしている。

逗子出身の店主は、根本きこさんがオーナーだった逗子の人気店「coya」や、続いて同じ場所を引き継いだ「beach muffin」で主にドリンクを担当し、毎日コーヒーと向き合ってきたという。生まれ育ったこのエリアの雰囲気が好きで、いつか自分の店を出すなら地元で、と考えていたそう。
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そもそも20代前半まではコーヒーがあまり得意ではなかったんです。でも、ある寒い冬の日に飲んだカフェオレがとてもとても美味しかった。どうしたら美味しいカフェオレが淹れられるんだろう。いや、美味しいコーヒーをドリップしてこその美味しいカフェオレかもしれない、と。凝り性だったこともあり、あっという間にコーヒーの世界に夢中になったそう。

とはいえ、当時はまだ今のようにバリスタ文化は発達しておらず、たまたま自宅にあったケメックスを使って、独学でドリップを研究したという。その後いろいろな店でコーヒーを淹れてきたけれど、自分の中にある淹れ方の芯のようなものは、始めたころに固まったもののように感じます。と、話してくれた。
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淹れている間は、あまり質問にお答えできないかもしれません。

そう言うと、真剣な眼差しで温度を計り、ネルを丁寧に扱い滑らかな手さばきでドリップしてゆく。香りを嗅いで、うなずきながら。
いわゆるカフェスタンドのような大きな音の機械音はもちろん聞こえない。
シンプルな道具で、自分だけの感覚を知る人だけが聞こえるコーヒーの音。
時間にしたらほんの数分だけど、あれこれ質問しようとしたこちらの方が臆するほど張り詰めた時間だった。
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ドリップコーヒーは香りを楽しんでいただけるよう、少しぬるめで出しているそう。
その味はというと、一部の人々の間では究極の抽出法と呼ばれるネルドリップならではの、口当たりの滑らかさとふくよかな香りに気持ちがほどけていく。丁寧に出汁をとられた上質なスープのような、丸みのあるとろりとした味わいだ。
先ほどの丁寧な工程を見た後でいただくそれは、いわゆるチェーン店で素早く淹れられたそれと違い、まるで自分のためだけに、個人的に淹れてくれたかと思ってしまうほど、優しい心持ちにさせてくれた。熱いのが好きな方は遠慮なく言ってくださいね。そんな内容が書かれたメニューも押し付けがましくないこだわりで感じが良い。
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珈琲ーいつものブレンド ¥580

自家製にこだわった、軽食と甘いもの。

喫茶店といば、甘いものと小腹を満たす軽食は欠かせない。
「ヒマダコーヒー」ももちろん用意しているが、やっぱり少しこだわったメニューだった。
コーヒーといえばチーズケーキ。こちらは濃厚な大人の味わい。
ヴィーガンやアレルギーを持つお子様にはナツメヤシのブラウニーを。砂糖、小麦粉、乳製品 不使用の贅沢なチョコレートだ。
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ナポリタン ¥1,180
喫茶店にあったらついオーダーしてしまうナポリタンは、店主自ら打つ、少し太く固めの手打ちパスタに燻製香の薫る自家製ベーコン、手作りのフレッシュなケチャップで凡庸ではない仕上がりになっている。
出来たてをいただくと、控えめに言ってもすごくすごく美味しい。冷めないうちにさっと食べきれる量も良い加減だ。

メニューが外に出ていないので、食事ができると思ってもらえないようです。少し困った顔で話す店主は、
そうそう、コーヒーが飲めない方のために、紅茶やココアもありますよ。と付け加えた。
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少年時代のファクターを昇華させたインテリア

布張りのローバーチェアなど、古き良き時代のミルスペックなアイテムがさりげなく配置された店内は、清らかに整えられ、広くはないのにすっとした広がりを感じる。自身も山登りが好きだという店主は、とりわけ19世紀の冒険に惹かれるという。少年時代に憧れたという探検やスパイ、夢中になった戦争ごっこなどは、彼のフィルターを通して洗練され、インテリアとしてそこかしこに現れている。かの時代の冒険に見られるような、どこか温かみのあるフォルムはシンプルなこの空間をより味わい深く仕上げている。

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オリジナルで作られた手洗い場は、飯ごうやソープボトルなどのアイディアも面白い。
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祖父の家でつかわれていたという窓硝子をはめ込んだ雰囲気のある窓。フレッシュなマリーゴールドの黄色が目を引く。
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古いスケートボードを組み込んだ台の上には、アウトドア毛布のようなブランケットと南天の実が。
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さりげなく飾られた植物は、祖母の庭から摘んできたという自然のままの枝や、少し萎れかけ色褪せた状態の花が似合う。

入り口が狭く懐の広い、という本のセレクトコーナー

店主のその時期の気分によって、手持ちの本の中から少しずつ入れ替えられるという、閲覧自由な本のセレクトコーナー。山登りや植物のほかに、この時のテーマは「旅」と「冒険」。ちょっと手に取るには憚られるような、一見入りにくそうに見えるセレクトでも、質問をすればすべて答えてくれるのは、きちんと読んでいる証だろう。

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どんぐりの話を何気なくしていたら、スッと取り出した本は「どんぐり見聞録」それから「ドングリと文明」。〜古代西欧文明から、ダ・ヴィンチの絵画、大航海時代の帆船、日本の縄文文化まで。人類の歴史は、常にドングリの木=オークと共にあった。〜という見出しに、思わず手にとって読んでみると引き込まれてしまうような内容だった。こんな風な思いがけない時間も自分の知識や教養を広げてくれるだろう。

今日はとりたてて何もしなかったけど、なんか良い1日だったな。
このお店でゆっくりとコーヒーを飲んで、夜寝る前にそんな風に思ってくれたら一番嬉しいです。

忙しく過ごす人たちの生活では、そんな風に思い出す時間を作ることさえ難しいかもしれない。
でも、一杯の特別なコーヒーを引き金に、時々でも自分に戻れる時間をつくっていくことも、人生の大切なことの一つなのかもしれない。


写真 眞田厚司(Catering Photo Studio Wagon) 
取材・文 松本えり子
[ ヒマダ コーヒー ]

住所:三浦郡葉山町堀内975
TEL:046-874-7211
営業時間:10時-18時(冬季のみ11時OPEN)
定休日:水曜日、木曜日

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