湘南くらすらいふ第57回 土屋由美さんのClass Lifeな暮らし

view.jpg

今から20年ほど前、葉山の森戸神社の鳥居の前にあったカフェ。古民家をリノベートした店の手前は客席、奥にはオープンのキッチン。古いソファやテーブルや椅子が置かれ、それぞれがバラバラなのに、すっと落ち着く統一感がありました。飾り棚やテーブルのちょっとしたコーナーには、小さな花がさりげなく活けてあり、なんともいえず心が和む。マニュアルにはない、センスがそこはかとなく漂う空間。自家製のカレーが盛り付けられていたのは、可愛らしい絵付けのされた作家もののプレートでした。独特の世界観に心踊り、多くの人が魅了されました。そこが葉山の伝説のカフェ「manimani」です。

今でこそ古民家の古材を使った店は、よく目にするようになりましたが、当時は、ひとつの審美眼で集められた和洋折衷のインテリアのカフェは、まさに新鮮の一言。その店で、いつも張りのある元気な声で出迎えてくれたのが、土屋由美さんです。母と共に営むカフェには、地元や東京に住むおしゃれな人が出入りして、二人のお眼鏡にかなった作家の作品が、傍のショップ兼ギャラリーのコーナーに並びます。「葉山らしい」という形容詞で描かれる店のはしりとなった一店でした。
 由美さんの活躍は常に一目置かれ、自宅をカフェ&ギャラリーとしてオープンした話や、震災ののちに建物の耐久性の問題で元の店を惜しまれながら閉めることになったこと、料理教室を開いているということも巷の噂で耳に入るほどです。そんな由美さんが、葉山に滞在していたヨットのオリンピックチームをサポートする活動をしていたり、コロナ禍でのお弁当づくりのボランディアをするなど、新たな場面で精力的に動いている様子を目にして、さらにエネルギッシュになっている今の話を聞きたくて、自宅を訪ねてみました。


「緑と風を感じられる」というのが希望でした

entrance.jpg

 森戸神社の「manimani」から5分で行ける場所を条件に土地を見つけ建てられた自宅は、細い道から一歩足を踏み入れると、わぁっと思うほど広い空間から始まります。リビング兼、子供たちの寝室という1階は天井が4.2メートルのゆったりとした四角いスペース。螺旋をたどりながら階段を登っていくと、途中、庭へと開く扉があり、さらに進むと、パッと景色が拓け、展望台のような2階へと導かれます。まるで木登りをしていくかのような、ワクワクする感じ。家の中にいながら外とのボーダーレスな感覚を味わえる家です。

1F.jpg

1F_green.jpg

stais green.jpg

 「どこの部屋でも緑と風を感じられるというのが、家を建てたときの一番の希望でした」。大きくとったダイニングキッチンの窓の向こうに、江ノ島や富士山、天気のいい日なら伊豆半島までを見晴らせる景色を眺めながら、由美さんは言います。まだ前の道が舗装されていなかった時期、草ぼうぼうの土地を見にきて、この景色に一目惚れしたのだそうです。

livingoverview.jpg


「家は年月を重ねるほどにいい味がでてくる」

book.jpg

 設計を依頼したのは、建築界の巨匠、阿部勤さん*1。きっかけは、阿部さんの書いた本、『中心のある家』でした。昔の「manimani」のお客様が編集に携わった絵本シリーズで、店に置いていたときからずっと大好きだった1冊。「すごく有名な方ということも知らずに、お願いしてしまい」と恐縮しながらも、「初めてお目にかかったときから、『ここまで惚れ込むか』」というほどに、27、8歳だった由美さんは、「この方に任せたい!」と強く思ったそうです。
 「うちに遊びにいらっしゃい」と招かれ、埼玉のお宅に行ったときの衝撃を話してくれました。「先生は80代になった今も、まだ駆け出しだった30代のときに建てた家に住み続けています。『家は年月を重ねるほどにすごくいい味が出てくる。庭の木も30〜40年経って風情が出てくるでしょう』。途中で家を替えたのでは『家に申し訳ない』とおっしゃったんです」。中のような外、外のような中、居心地のいい空間を実現するまでに、3年の時間が費やされました。2階のダイニングキッチンは、飲食店と菓子製造業の許可が下りるように、必要なシンクの数を満たし、引き戸を締めれば孤立した空間になるなど、工夫が凝らされた設計です。カフェのエントランスは2階にあり、ブリッジ式になった門は、営業の際に道路に掛けられ往来が可能になります。

outside.jpg

 仕組みがいろいろと隠された家の説明を聞いているだけで、忍者屋敷を訪れたような好奇心を掻き立てられますが、すべてが使い勝手を重視した発想であることにさらに驚かされます。「予想をはるかに超えた家ができました!」と声を高める由美さん。この家を建てる中で、阿部さんから学んだことがとても多かったようです。「『家は持ち主がどう使うかによって価値が変わります。建って、はい終わりではないんですよ』と食事をしながら先生とお話ししました」。12年住んでみて、その言葉がしみじみと思い出されるようです。紹介していただいた編集の方が阿部さんを「もっとも建築家らしくない」とたとえたのは、住む人の意見をすごくよく取り入れてくれるという意味だったということに、改めて気づいたと言います。
 料理もよく作る阿部さんと細部まで検討を重ねたキッチンのしつらえ。大量の仕入れを車から降ろしてキッチンまで運ぶのに小型エレベーターを設置するなど、オーガニックな雰囲気の中に機能が組み込まれたハイブリッドさが魅力の家です。

kitchenelevator.jpg

そこに置かれた家具や雑貨は、昔の「manimani」を彷彿とさせる和洋折衷な古いものが中心。ふと木のダイニングテーブルを見ると、イラストやことわざがところどころに刻まれていて、使い込まれた味わいがあります。「昔のお店の常連の方が、引っ越しとともにくださったんです。店にあったソファーと交換しました」と。阿部さんとのご縁もしかり、由美さんの「素晴らしい才能」のひとつに、「出会った人と深く快くつながれること」があるのです。

table.jpg

vintage.jpg

roomart.jpg

dishes.jpg

「食」を通して、葉山だからできる活動を

yumi02kitchen.jpg

  由美さんのもとには、さまざまな人が集まり、しあわせな時間を共有させてもらえます。旗を振って地元に根付いたイベントを活性化させる役割も果たしています。残念ながら延期になってしまったオリンピックに先駆けて、滞在していたイギリスのヨットチームのサポートを始めたのも、「せっかく葉山に来ているのだから、地元のものを食べてもらいたい」と、農家の野菜を紹介したのがきっかけだとか。湘南国際村に新型コロナの軽症者を受け入れる施設が設けられた際に、お弁当を頼まれ、届ける活動を始めました。給食がストップして余ってしまう食材をうまく利用するように立ち上げられた神奈川フードバンクの支援を受けて行っているそうです。

cooking.jpg

 「少しでも自分にできることは何かな?」という気持ちから、地元で食にかかわるボランティア活動に携わる由美さん。その視線はもっと先、高齢化と一人暮らしが増える地元の状況や、さまざまな事情で親と暮らせない子供たちのの今後を見ています。「葉山だから出来るのだと思います。東京にいたらできない。小さな町だからこそ、受け入れてもらえる」。そういう不思議な連帯感のようなものがある町だと言います。

vegebasket.jpg


カナダと葉山で培われたもの

yumismile.jpg

  由美さんから溢れ出すバイタリティと、スケールの大きさ、グローバルなセンスは、持って生まれたポテンシャルを基盤に、中学から大学までカナダ、バンクーバーで過ごした時間が大きく影響したようです。「自分がどう思っているかときちんと話さないと空気扱いされる」中で暮らし、自分を表現する術を身につけたと言います。また移民の多いカナダでは、ほんとうに美味しい多国籍の料理を味わい、カフェ文化も目の当たりにしまし。そうして培ったものが、日本の文化に合わせてバランスよく発信されている背景には、母とカフェを営んだ13年間が「意味のある時間だった」と言う由美さんの言葉があります。
 中学から10年間を離れて暮らした由美さんに、店を閉める際に、「やっと由美に教えたいことが全部教えられた」と言った母。テーブルにひとつ載せる花の大切さ、お皿を洗うときのていねいさ、包丁の持ち方、そして「母の味」を教えてもらったと感謝しています。由美さんは、いま日本の家庭の中で「母の味」がなくなりつつあることに危機感を覚えています。今後の活動では、食べることを通して、大切なことを伝えたい、と。

yumifood_02.jpg

yumifood.jpg

 アクティブに活躍する一方で、「『静』のものをやりたくて」と、書道を続け、この数年はキモノも着るようになりました。「根性試し」と笑いながら、「刺し子」のふきんを見せてくれます。ていねいで時間がかかるものの価値が、年を重ねるごとにますますわかってきたのでしょう。

sashiko.jpg

 living.jpg

massage.jpg

家を建てるプロセスから学んだことは、由美さんの価値観をしっかりとしたものに確立させたのかもしれません。出会って来た時間、人々から、そのエッセンスを受け取り、自分らしいスタイルで活かしている。人生を全力で漕ぎ進んでいる42歳の由美さんから、そんなことを感じました。

*1 阿部勤 建築家。1936年、東京生まれ。ル・コルビュジエに師事し、モダニズム建築を実践した建築家、坂倉準三の建築研究所に勤務。その後、タイの学校の設計管理でタイ国中を歩き廻り、東南アジアや南の島の風土に惚れ込む。
自邸の「中心のある家」は、建築好き、住宅好きの間では知らない人がいないほどの知名度をもつ、伝説の住宅。

interview & text : sae yamane
photo : yumi saito
coordination : yukie mori 

土屋由美

料理研究家。葉山生まれ。中学一年生のときに、家族と共にカナダに渡る。半年後に両親は帰国。その後も姉と共に残り、大学卒業までを現地で過ごし、帰国後は東京に住み、外資系証券会社に勤務。2000年に母の始めたカフェ「manimani」のオープンをきっかけに葉山に戻り運営を手伝うようになる。2009年、同じく葉山に建てた自宅で、カフェ&ギャラリーをオープン。不定期にカフェとして営業するほか、ケータリング、料理教室などを行う。薬膳インストラクター、メディカルハーブの資格をもつ。夫と二人の男の子と共に、暮らしている。
instagram@Café manimani

Life Style

Follow me!