湘南くらすらいふ 第13回 山田雅子さんのClass Lifeな暮らし(1/2)

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質実で気品漂う禅宗の寺が出迎えてくれる清閑の地、北鎌倉。ここに嫁いで37年、鎌倉が生み出すものへの造詣を深めながら、世界の料理にも出会い、北鎌倉おもてなし料理教室を主宰されている山田雅子さん。海洋生物研究家のご主人との暮らしは、今も毎日が発見に満ちているよう。知らなかった鎌倉、感じたことのない自然を味あわせていただきました。

家族の歴史を大切にしながら、暮らす

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川越に生まれた山田雅子さんは、北鎌倉のこの家に嫁いできて37年。海洋研究開発機構に勤務されていたご主人と鎌倉での生活を楽しんでおられます。
「川越と鎌倉。自分自身が生まれ育った川越と、夫が生まれ育った鎌倉。どちらも大事にしている場所です。夫の家はもともと横浜で生糸貿易をしていたんですね。火事になってしまったらしいのですが、焼け残った青磁の壷や、使っていたタンスは今も大事にここにあります」
不意の事態で焼きしめられた青磁の色合いが、家族の尊い歴史を物語っているかのようです。

鎌倉にしかいない生物たち

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鎌倉にしかいないという「鎌倉メダカ」もこの家の鉢に元気に泳いでいました。
「素朴で可愛いでしょう。姪でコピーライターをしながら環境問題に取り組んでいるマエキタミヤコの影響で『COP10記念 鎌倉いきもの会議』に参加しているんです。夫は魚類の専門でもありますし、この原種を大事に増やしたいと思って育て始めました」
 ご主人の山田稔さんは海洋研究開発機構の元職員で、海洋科学著述家として雑誌・インターネット上に山田海人のペンネームでエッセーなどを発表してらっしゃいます。地元の子供たちと海から流れ着く貝殻などを拾って保存するビーチコーミングの活動にも力を注いでいらっしゃるそうです。
「長い間、海の中で海水と軟泥にさらされてできる、中が銀化したガラス瓶も、夫が鎌倉の海岸で拾った宝物です」。
 光を当てるときらきらと輝く銀色。まさに自然の美術品です。

ささりんどうと鎌倉の関わり

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雅子さんは「ささりんどう」の保護にも積極的です。
「鎌倉市章でもあり、源頼朝の紋章は、笹の葉とリンドウの花の組み合わせか?と言われますが、私は、鎌倉に自生するリンドウの咲き姿を表しているのではないかと思います。
鎌倉の山々に自生してきたリンドウの種を採取し、育ててみてわかったのですが、地を這うように茎をのばし、笹に似た葉を広げた上に花を咲かせるその姿をデザイン化したのが『家紋 笹竜胆』なのではないかと。
『ささりんどう』という植物名は無いのですが、鎌倉自生のリンドウに限り『ササリンドウ』と呼んでいいのではないかしら。

花屋さんで一般的に見られるリンドウとは形状が違いますね。
鎌倉市の花でもあるし、もともとは自生していたものなので、私も育てたいと思いました。今年種をまいて、ようやく来年秋、花が咲きます。6月には移植会も開くことになっています。
鎌倉市中央公園のプロジェクトとして群生で咲かせることにもなっており、ますます鎌倉を代表する花になっていきそう。

ユネスコの仕事で世界の料理を知って

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「夫の母は、鎌倉で日本赤十字奉仕団を立ち上げた一人なんです。結婚するときに夫に『君にもそんな遺志を引き継いでほしい』と言われ、私自身もやりたかったことなので、いずれは本格的なボランティア活動をと思っていました。子どもが小学校の低学年になって少し手が離れた頃、ユネスコ協会の創立メンバーに加わったのです」
それは1988年のこと。世界遺産の登録の地で、識字活動を行うのが主な活動でした。内乱が落ち着いた2004年頃のフガニスタンでの識字活動は、現地のおかあさんたちからの料理レシピで、女性が文字を習うテキストを日本で作って送るという協力だったそう。
「お料理は国際交流にもとても役立つものです。今もミャンマーの人、ラオスの人、インドの人、ペルーの人、マリの人と、私には世界中のお友達がいっぱいいて、皆さんが教えてくださる味をまた日本で伝えていけるのも幸せなことです」。

Life Style

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