湘南くらすらいふ第59回 ペルさんのClass Lifeな暮らし

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逗子を流れる田越川に沿って広がる住宅街、家の立ち並ぶ一角に、ふっと突然、異次元への扉が開くように洋風な趣もある古い日本家屋が現れます。まるでお菓子の家に辿り着いたヘンゼルとグレーテルが胸を踊らせたように、この家の前に立った途端、なにやら素敵な予感がしてくるのです。前庭からのアプローチの先に白い暖簾の下がった玄関。木の引き戸がそっと開けられてあり、客の来訪を温かく迎える亭主の心を感じさせてくれます。ここは、台湾茶道の茶人、ペルさんの自宅兼茶道稽古場です。

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 白い暖簾には「留白」の文字。ペルさんの主宰する台湾茶道の名称であるこの言葉は、中国語で「余白」という意味。茶湯の余白が人々の心に豊かさをもたらすことを願う気持ちを託しているのだそうです。冬の雨上がり、ひんやりとした空間には清々しさが漂い、ペルさんによって場が整えられているのが伝わってきました。ストーブに火を入れ、焼いた炭を火鉢に入れ鉄瓶の湯が沸いてくると、白い空間に少しずつ彩が灯ります。すべての流れが茶を味わうために用意された、序章のよう。

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ふさわしい借り手を待っていた家

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  約100年の歴史をもつ家は、この土地に長く暮らす一族の家として建てられました。広い玄関のたたきを上がると、左手に昭和初期を思わせる、洋窓と板張りの床、白い漆喰壁の応接間があります。そこから続く縁側に沿って和室が並び、右の奥にはキッチンなどの水回りが。和室を抜けて反対側の廊下を巡ると、小間があり、再び玄関の上がりへと戻ります。時を超えて存在するこの場所は、すべてに手入れがゆき届き、古さというものが美しさとして際立ちます。

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 ペルさんがこの家を見つけたのは2年前。インターネットの不動産サイトだったそうです。「憧れの家」を心に抱きながら、なかなか借りてのつかなかったこの家を度々確認しているうちに、去年の春、ついに機が熟し、勇気を振り絞って家を借りたいと問い合わせたそうです。家の持ち主は、この家にふさわしい借り手を待っていたのでしょう。ペルさんがこの家でどう暮らしたいか、何をしたいのかということを受け入れ、快く貸してくれたそうです。内見したときには古いままだった水回りは、入居の際にはセンスよくリフォームもされていました。

お茶を通して見出したアイデンティティー

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 2020年11月、ペルさんは新たな人生を歩む決意と共にこの地に移り住み、自らの場「留白」を開きます。台湾で生まれ、小学生の頃に日本に渡った彼女の口調はとても丁寧で優しく、どこか中国の胡弓の奏を感じさせます。日本と台湾を行き来しながらも、日本の教育を受け、大学は両方で卒業しました。ただし思春期にはふたつの国の間で、どちらにも所在を見つけられないジレンマを感じたと言います。
 「日本で生きているのに、日本人なのか、台湾人なのか、アイデンティティーを求め迷いました」と。そんなある日、台湾茶を人にふるまう機会があり、ストンと腑に落ちることがあったのだとか。「お茶をやっていると、ひとりの人間としてここにいられる」。子供のころから日常にあった喫茶の習慣を通して、自らのルーツと繋がったのかもしれません。「きちんと深めたい」そんな強い思いから、さまざまな人を訪ね、台湾茶、中国茶を飲み歩き学びました。

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 今、日本では中国茶や台湾茶は、人気がありますが、実は茶の歴史はさほど長くなく、清の時代のころからなので100年足らず。「100年続かないと流派とは言えないので、台湾茶にはまだ流派というものがないのです」、それぞれの茶人がそれぞれの流儀を守り、構築している段階にあります。日本の抹茶はもともと中国から伝来し、その後脈々と系統化され今なお「茶の湯」として続いています。中国では文化大革命により、その文化が一掃されてしまいました。スペイン、オランダ、日本に統治されていた台湾は、経済や政治が安定してきた近年になって、やっと茶の文化が精神性をともなうものとして認識されるようになったのだと教えてくれました。
 台湾茶の流派は、まさに誕生している最中。ペルさんはそのタイミングをラッキーだと言います。辿っていく道が、流派となる可能性を秘めていると。そんな彼女が茶人として歩む中で、大きく影響を受けたのは尊敬する師との出会いでした。台湾のレストランでお茶を入れる機会があった際に、客として目の前に座って飲んでくださったひとりの老人。その姿勢に感動して、訪ねた方がその道の大先生だったのです。ただしわかりやすい形での教室ではなく、家に訪ねて来た人に知りたいことを教えるという師弟の関係で、心と心で通じ合う瞬間が「入門」なのだと。

生き方がみんなのお手本にならなくてはいけない

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  「先生は慈愛に満ちた方で、愛で教えてくれました。その受けた愛を教室の生徒にお返しできるように努力しています」と語りながら、ゆっくりとお茶を入れます。「これは凍頂ウーロン茶、台湾の実家の近くのお茶です」と差し出されたお茶を口に含み味の奥行きに感心していると、「台湾のお茶は、高くて大きくて深く、壮大です」と声に誇らしさが響きます。上質の茶葉もそれを丁寧に入れる手順も茶器や茶碗の素晴らしいものも、台湾にはもともとあります。けれどそれをうまく組み合わせて体系化し始めたのが最近のことだと。

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 だから、茶人それぞれのセンスがきっと大切なのでしょう。ペルさんの設えた空間は洗練されていて、どこを切り取っても、胸がすっとする潔さとこだわりのもとに集められた意匠で統一されています。茶の稽古を行う洋間には、茶道具の並んだテーブルの片側に亭主の席、反対側に客のための長椅子が置かれ、古い時代の急須と新しい時代の器、李朝の火鉢。すべてが調和を大切に組み合わされています。大きく勢いよく書かれた「夢」という掛け軸は、友人であり、活動を共にする機会も多い書道家、鈴木猛利さんの作品。「いつか自分の空間をもてたときに、最初に彼の書をきちんと掛けることが夢だったのです」という言葉が体現されています。

 「茶人とはなんですか?」

ペルさんは師にそう尋ねたことがあったそうです。それに対して「生き方がみんなのお手本にならなくてはいけない」との返事が。「その上で、茶を愛して、茶への情熱をもって、茶を通して平和に繋がることができる人」だと。その通りの生き方を淡々と歩むペルさんがそこにいます。最初に家の中を案内された際に、あまりに綺麗に住んでいることに驚いていると、「どの空間に入ってもらっても、どこを見ていただいてもいいように心掛けています。茶は生き方を見せるのが、みなさんにとっての収穫だと思いますので」とてらうことなく語った姿を思い出しました。この家を稽古場として構えてからはそうしているのだと。「稽古はお掃除から始まるのですよ。みなさんの気持ちがいいだけしたら十分なんです」。

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 ペルさんは教室のために生活をしていると言います。家族と暮らすこの家で、空いている時間はすべての日程を教室のために当てています。彼女の言葉の端々に、教室の生徒に対する愛が強く感じられます。「お月謝はみなさんが成長するためにいただくものであって、私が生きるためにいただくものではないと思っています」という真摯な姿勢。人生の紆余曲折を経て、自らの生き方と生活を見られている立場にあることもまた茶人としての「役目」なのだと。

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「誰かの真似ではなく、自分のお茶を探さなければ」

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 昨年8月からはオンラインでの授業も始めました。師の「お茶をなくして、お茶を語ってはいけない」という教えを念頭に置きながらも、コロナ禍という時代の変化に合わせた茶の形を見出そうと努力するペルさん。大学では「中国古典文学」を専攻していたこともあり、お茶の味わいを深める漢詩や先人の言葉を取り入れた「茶と文学」という講座を開いています。総合芸術である茶の世界観を伝える新しい試みもあります。「偉人の言葉や名言集が好きで、自分のために書き留めて、眺めたりしていました。勇気が出ますし、お茶が美味しくなるのです」と。座学のあとには、あらかじめ郵送された茶を各自が入れて、画面越しに入れ方や道具の揃え方のレクチャーも。
 茶を教え初めて13年。30代のペルさんは「芸事の世界ではまだまだ若いので、年齢にふさわしい苦労が期待されます」と正直に話します。立派な教室を立ち上げるには苦労がなかったはずはありません。ただそれだけの覚悟がこの場の凛とした空気となって彼女を支えているように感じられました。
 ペルさんの人生そのものとなった茶の道。茶を深めてくれたのは、師の教え。茶の先生は「自然」だと言います。常に変化しつづける様子を感じとり、その都度学んでいきます。湯を沸かす炭を知るには炭が先生だと。なるほど、教えられて知るのではなく、じっくりと時間をかけて自らで見出していく流れ。その過程を生徒のみなさんに通ってもらいたくて、このような場を構えていることがわかりました。みなさんに伝えたいことは?と聞くと、「自分を幸せにできるお茶が、人を幸せにできます。まずは自分が幸せになるお茶を入れてほしいです」と確信のある口調で。

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 それは自分自身にも常に言っている言葉かもしれません。「いつの時代の誰かの真似ではなく、自分のお茶を探さないといけない」、最近は強くそう思うことがあるペルさん。台湾茶ならではのおもしろみがそこにあるのでしょう。日本の伝統的な茶道を体験したり、煎茶器を作る日本の作家たちと交流する中でも学びが多いと言います。「留白」がもつ白にはまだ見ぬ未来への可能性も。この家から発信される新たな茶の世界を楽しみにせずにはいられません。

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interview & text : sae yamane
photo : yumi saito
coordination : yukie mori 

珮如 ペル

茶人。台湾、南投県生まれ。台湾の茶人、沈武銘老師に師事。台湾茶道「留白」(るはく)主宰。留白とは中国語で余白を意味し、茶湯の余白が人々の心に豊かさをもたらすよう願い、日本、台湾、中国を中心に活動している。逗子の私邸茶室、北鎌倉の円覚寺「龍隠庵」、京都のギャラリーYDSを稽古場として、台湾茶道を教える。
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